2013年3月11日月曜日

3.11 決して忘れられない日

こんにちは、副院長の尾見です。
またまた久しぶりの投稿になってしまいました。

今日は東日本大震災から2年。
2年前の今は、のほほんとお昼休みを過ごしていました。
この約1時間20分後に大変な事になるとは・・・・

その日の午後のスタートは比較的ゆっくりめなスタート。
診療室内で患者さんの処置がされておらず、待合室に数名の患者様がいました。

2時46分。
揺れが始まる。
数日前から少し大きな地震があったので、「またか」という感じでした。
しかし、全く揺れが収まらない
強まる揺れに、院長である父に私が「外に出よう」
と提案。
無意識のうちに、ノートパソコンを閉じて、カバン持って患者様を誘導しながら外に出て、
京成ホテルの裏の駐車場脇の歩道にスタッフ2人と呆然と立ち尽くす。

今は取り壊されているリヴィンの壁が大きく崩れ、駐車場の看板も落ち・・・・

長い長い揺れでした。

一旦揺れが収まった所でスタッフに各自の荷物を持って、最寄りの三の丸小学校に行くよう指示。
院内は散乱。
水槽からの水が溢れかえっていました(その後、停電のため水温が上げられず魚は全滅・・・・)

余震が続く中、私は表の鍵を閉め、カルテ用パソコンの電源を落とし、通用口の鍵を閉め、駐車場に停めてある車の様子を見に行きました。
車は無事、車内にパソコンをしまい、三の丸小へ向かいました。

三の丸小で2度目の大きな余震。
その後徒歩で銀杏坂まで下りて、交通状況を見に行きました。
何故か「今だ、帰ろう!」
と思い、スタッフを乗せてそれぞれの家に送り届けることに。
スタッフ2人とも市内在住、本来30分程あれば2人を送り届けられる所、2時間以上かかり、
その後、実家へ様子を見に行きました。
地震後、夫と、すぐ下の妹とは30分ほどで連絡が取れたのですが、母とは連絡が取れずにいました。
幸い、庭で犬と遊んでいたところに地震があって、何を逃れたとのことでした。

実家を出たのが夜の8時。
今住む家に向かいました。
普通に国道を使えば1時間半ほどで帰れるところ、信号が壊滅状態で、大渋滞。
しかも途中利用する橋が通行止めで迂回。
家に帰れたのは、日を越えた、午前2時過ぎ。6時間以上かかって帰宅。
漆黒の闇の中、星空がとてもキレイだったのを鮮明に覚えています。
こちらも停電、断水。飼っている猫たちも無事、食器が落ち、使っていないテレビが倒れたくらいでした。

実は、私は地震と雷が大嫌いです。
地鳴りが聞こえただけでもビクビクします。

でも、この震災の時は異常に冷静でした。
避難、患者様の誘導→スタッフの送り届け→実家での無事の確認→帰宅
今思うと、良くできたな、と(笑)
「怖さ」のキャパシティを越えてしまったからかもしれません。
アドレナリンがバンバン出ていたのでしょう・・・

今は、いつもの地鳴りでビクビクな私に戻っています(苦笑)


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